成功のロジック

VUCA時代における戦略不要論に潜む論理的脆弱性:計画と即興性の関係を再考する

Tags: 戦略論, VUCA, 即応性, 経営学, 論理的思考, 組織論

はじめに:VUCA時代と戦略論の変化

現代のビジネス環境は、VUCA(Volatility: 変動性、Uncertainty: 不確実性、Complexity: 複雑性、Ambiguity: 曖昧性)という言葉でしばしば表現されます。この環境下において、従来の長期的な予測に基づく固定的な戦略策定は困難であるという認識が広がっています。これに伴い、「もはや戦略は不要である」「即興性こそが重要である」といった議論が見られるようになりました。これらの主張は、変化への迅速な対応の重要性を強調する点で一見説得力がありますが、その論理構造を詳細に検証すると、いくつかの飛躍や誤りが見受けられます。本稿では、VUCA時代における戦略不要論や即興性重視論に潜む論理的な脆弱性を分析し、計画と即興性の関係性について再考します。

VUCA時代の戦略不要論・即興性重視論の論点

VUCA時代における戦略不要論や即興性重視論は、主に以下の点を根拠として主張されることが多いようです。

  1. 環境変化の予測不可能性: 環境の変化があまりに速く、予測が不可能であるため、長期的な戦略計画を立ててもすぐに陳腐化する。
  2. 固定戦略の弊害: 固定された戦略に従おうとすることが、かえって変化への柔軟な対応を阻害する。
  3. 即応性と学習の優位性: 刻々と変化する状況に対し、計画ではなく現場での即応的な判断や試行錯誤を通じた学習こそが成功の鍵となる。

これらの論点に基づき、企業は詳細な計画よりも、迅速な意思決定能力や学習能力、そして予期せぬ機会に即座に対応できる組織能力を構築すべきだ、と結論づけられます。

論理構造の解体と飛躍・誤りの指摘

これらの主張は、VUCAという環境認識においては一定の妥当性を含みますが、「戦略不要」や「即興性のみが重要」といった結論に至る過程には論理的な飛躍が存在します。その論理構造を解体し、問題点を指摘します。

1. 「予測不能性=戦略不要」という二項対立の誤謬

「環境が予測不能であるならば、戦略は無用である」という推論は、戦略を「詳細かつ長期的な予測に基づいた固定的な行動計画」と狭義に定義していることから生じる論理的飛躍です。戦略の定義はこれに限られません。戦略は、資源の配分原則、組織の方向性、競争優位を構築するための基本方針、学習や適応のメカニズム設計など、より広範な概念を含み得ます。

VUCA環境下でも、企業が目指す大まかな方向性、優先すべき領域、活用すべき中核的な能力といった「羅針盤」としての戦略は依然として重要です。予測が困難であっても、どのような能力を開発すべきか、どの市場セグメントに注力するかといった高次の意思決定は必要であり、これは戦略的な思考に基づかなければ行えません。予測の精度が低下したからといって、全ての計画的思考が無効になるわけではないのです。むしろ、予測不能性に対応するための「適応的な戦略」や「リアルオプション戦略」といった概念の重要性が増していると解釈すべきです。

2. 即興性を支える見えない前提の見落とし

即興性や現場での迅速な意思決定が成功の鍵であるという主張は、一見正しいように見えますが、即興性が有効に機能するための「前提」が見落とされがちです。優れた即興的な対応は、無秩序なアドリブから生まれるわけではありません。それは多くの場合、以下のような要素に支えられています。

これらの要素は、短期的な即興性とは異なり、中長期的な視点での戦略的な投資や組織開発によって培われるものです。即興性を強調する議論は、この「静的」な基盤構築という「計画的」な側面を軽視する傾向があります。論理的には、「即興的な対応が成功する」という結果から、「即興性それ自体が唯一重要な原因である」と推論する後件肯定の誤謬に陥っている可能性があります。実際には、即興性は、それを可能にする戦略的な基盤の上に成り立つ能力であると考える方が妥当です。

3. 計画行為自体の持つ多面的な効果の無視

計画は、単に未来の行動を固定するだけでなく、それ自体が組織にとって多面的な効果をもたらします。例えば、計画策定のプロセスは、関係者間のコミュニケーションを促進し、共通の理解を醸成する機会となります。また、計画を立てる過程で、環境分析や内部能力の評価が行われ、組織の状況に対する学習が深まります。さらに、計画は資源配分を明確にし、組織内の活動を調整する役割も果たします。

VUCA環境下で計画の「予測精度」が低下したとしても、計画行為が持つこれらの副次的、あるいは構造的な効果は失われるわけではありません。むしろ、不確実性が高い状況においては、計画プロセスを通じた学習やコミュニケーション、そして柔軟な資源配分の枠組み設定といった側面がより重要になると考えられます。戦略不要論は、計画の持つこれらの重要な機能を無視している点で、論理的な視点が限定的であると言えます。

本質を見抜く視点:適応的な戦略と即興性の統合

VUCA時代において重要なのは、「戦略か、即興性か」という二者択一の議論ではなく、両者をどのように統合し、変化に適応できる組織能力を構築するかという視点です。

  1. 戦略の再定義: 戦略を、硬直した詳細計画ではなく、組織が進むべき大まかな方向性、中核となる能力、そして学習と適応を組み込んだ動的なフレームワークとして捉え直す必要があります。これは、資源配分の柔軟性、組織構造のモジュール化、頻繁な戦略の見直しプロセスなどを内包するものです。
  2. 即興性を支える基盤の構築: 優れた即興性は、単なる場当たり的な対応ではなく、強固な組織能力、明確な共通原則、そして継続的な学習文化という戦略的な基盤の上に成り立ちます。これらの基盤構築こそが、VUCA時代における競争優位の源泉となり得ます。
  3. 計画と即応性のダイナミックな関係: 計画は、即応性を高めるための基盤を構築する活動であり、また即応的な現場での試行錯誤や学習は、より良い戦略を策定するための情報を提供します。両者は相互に補完しあう関係にあります。

結論

VUCA時代における「戦略不要論」や「即興性こそが全て」といった主張は、戦略の定義を狭く捉えすぎている点、即興性を支える前提を見落としている点、そして計画行為の持つ多面的な効果を無視している点において、論理的な脆弱性を抱えています。環境の変化が速いからこそ、企業は自身が進むべき方向性や、変化に対応するための能力構築について、より洗練された戦略的思考が求められます。即興性は、戦略的な基盤の上に成り立つ重要な能力であり、計画と即興性は対立する概念ではなく、変化への適応を可能にするための車の両輪であると理解することが、VUCA時代の経営の本質を見抜く上で不可欠であると言えるでしょう。この議論は、経営学における戦略論、組織論、学習理論といった複数の分野にまたがる深い考察を必要とします。

参考文献への示唆

VUCA環境下における戦略論の進化については、H. MintzbergによるEmergent Strategy論、Kathleen EisenhardtらによるStrategy as Simple Rules論、あるいはDavid TeeceによるDynamic Capabilities論などが参考になります。また、即応性や組織学習については、Chris ArgyrisやPeter Sengeの理論、あるいはComplex Adaptive Systemsとしての組織に関する研究などが議論の深化に繋がるでしょう。具体的な戦略策定手法としては、リアルオプション理論の応用や、リーンスタートアップのアプローチを組織全体に適用する試みなどが挙げられます。これらの理論を参照することで、本稿で指摘した論理の飛躍をより学術的な文脈で理解し、乗り越えるための知見が得られると考えられます。